カウンセラーの向き・不向きについて考える

この記事で書きたいのはカウンセラー・心理職の適性がどうとかいう話ではなくて、ずっとそれで悩み続けてきたことの個人的な振り返りの話。

大学院の話

私は心理系の大学院(臨床系)を出ている。

心理臨床系の大学院では、指導教員に研究論文を指導してもらうことに加えて、自分が実際にカウンセラーとして受け持ったケース(カウンセリング)の指導をしてもらう。

ちなみに研究を指導してくれる教員と、ケースを指導してくれる教員は大学院によって同じ場合もあれば、別々の教員が担当している場合がある。

私の大学院は前者で、研究指導とケースの指導の教員は一緒だった。

私の指導教員はかなり厳しいことで有名な先生だった。

これは個人的な印象だけで話しているのではなく、同級生・先輩方のほぼ全てが同じ評価をしていたので、客観的にも厳しい先生だったんだと思う。

研究にしろケースにしろ、それをゼミ内で発表する場が毎週あったのだが、本当に毎日きつかった。

発表したことに対してとことん詰められるので、心が持っていかれる。

特にケースに関しては、ケースそのものの話から始まって、ケース担当者、つまり私自身の内面の話につながっていく。

自分自身が自覚していなかったり、見たくないもの・気づきたくなかったものもどんどん他のゼミ生もいる場でオープンにされていくというのは、本当にキツイ。

辛くて泣いてしまうこともあったし、他のゼミ生も泣いてた。というか先輩やら後輩含めてゼミ生に関しては、ほぼ全員の泣いてる姿を見たと思う。

中には体調を崩して、大学に来れなくなってしまう人もいた。

いろいろな要素が絡み合ったところもあったのかもしれないけれど、今思い返すと結構な話だ。

ただその頃の私にとっては臨床系の、というか大学院の指導というのはそういうものなんだろうと思っていた。

辛いけど、必要なこと。うまくできない自分が悪い。

そんな位に思っていたし、後半は正直誰が悪いとか何が悪いとかでなくて「とにかくここ(大学院)を何としてでも出たい」ということが全てになっていた。

良くも悪くも「耐え続ける日々」だったと思う。

ちなみに大学院を出てしばらくして別の大学の先生と話す機会があり、自分の受けていた指導について話したら「それはもうハ◯◯◯◯トなんじゃないか」と言われたことがあった。

それを聞いて「ああ、そうかもしれないな」と思うところもあれば、「いや、やっぱり自分がダメなんだ」とも思った。

ただその後風の噂で私の指導教員が指導方針を変えたみたいなことを言ってたのを聞いたので、もしかしたら思うところはあったのかもしれない。

向き・不向きの話

話が逸れたが、私は大学院時代指導教員から「あなたはカウンセラーに向いていない」と言われ続けた。

ケースの指導を通して言われたところから始まり、最後は修了が決まり教員とゼミ生だけで開かれた修了記念パーティの場で最後に話した中で言われたと思う。

まあ、「向いてない」という話は私だけでなく他の人にも言っている場面を何度も見たことはあるが。

向いていない理由については結構断片的に言われることが多かったので、自分では理解できないことも多かったが、とにかく最後の最後まで言われ続けたので「自分は向いていないんだ」ということだけが印象に残った。

そして、これから心理職として仕事をしていこうという時にかなり強く言われたので、どうしていいかわからなかった。

カウンセラーの仕事をしようとして大学院に入ったのに、就職先もある程度決まりつつあるのに、「向いてない」と最後の最後まで念押しされると、「今更どうすりゃいいのよ」という気持ちになった。

教員は教員でいろいろな思惑があって言ってくれたのかもしれないけど、私はカウンセラーの仕事をすることに対して何かこれからやってはいけないことをやるかのような、罪悪感みたいなものを持つようになった。

こうして私は、「向いてない」という言葉とともに大学院を修了した。

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