この記事のひとことまとめ
「マインドフルネスは『できる・できない』ではなくて『する』もの」
宿題が出た話
今回は前回の続きです。

さて、初めてのマインドフルネス講座を受けたわけですが、こちらは1回きりの講座ではなく、複数回の講座でした。
そして講座の最後に、宿題が出ました。
「毎日どこかで時間を作って、呼吸瞑想をする」
時間は一応指定があったと思います(多分15分から20分くらい。うろ覚え)。
無理なら5分程度でも良かったんでしょうが、なぜか私は意地で20分やろうと考えてました。
なので、まずは瞑想できる状況を用意する。
まずよくある話ですが、「いつやるか」。
これは色々試した結果、朝6時に行うことにしました。
夕方も試してはみたのですが、私の場合仕事が終わった後は疲れていて予定を入れたくなかったということと、夜にするとそのまま眠ってしまう(笑)という問題が発生しました。
早起きは割と得意な方なので、朝洗顔などしてから瞑想することにしました。
後は姿勢。
基本的には座ってやるよう勧められたような気がしたので座ってやることが多かったですが、時折仰向けになってやることもありました。
仰向けの方がやりやすいというか、リラックスして意識を向けやすかったんですよね。
こんな風に具体的にやり方を考えつつ、毎日瞑想を続けていきました。
「できない」日々が続く
やってみて一番最初に感じたのは、「できない」ということ。
どうしても意識が逸れてしまって、いつの間にか別のことを考えてしまう。
それは仕事のことだったり、プライベートのことだったり、呼吸がちょっとしにくいと感じたり。
はたまた服が身体に触れる感じが嫌で我慢できなくなったり、なぜか急に腕の一部分が痒くてしょうがなくなったり。
こんなことを繰り返して、とにかく気が散ってしょうがない。
んで、瞑想が終わった後に「今日もできなかった…」と落ち込んだり、イライラしたりしてました。
「いつになったらできるんだろう」
「どうして他の人はできて、自分にはできないんだろう」
そんなことまで考え始めて、瞑想自体がちょっと嫌になった時もありました。

とはいえ、次の講座までに諦めてしまうということはしたくなかったので、とりあえず続ける。
そんな時、ふと思ったんですよね。
「マインドフルネス(瞑想)が『できた』って、具体的にどういう状態のことなんだろう?」
そもそも瞑想でやることはたったひとつな訳で、呼吸に意識を向け続けること。
その間雑念が浮かんではいけないというルールはないし、意識が逸れることが「良くない」とは言われてなかった。
そしてよくよく考えたら、「意識は逸れるけど、逸れたらまた意識を呼吸に戻すことを繰り返してください」と説明もあった。
何となく「瞑想=雑念がなく集中している状態」というイメージがあったので、それができないと瞑想自体「できていない」という考え方でしたが、そもそもが違っていることに何となく気づきました。
マインドフルネスっていうのはブレることなく呼吸に集中し続けている状態のことじゃなくて、逸れた意識をひたすらアンカー(今回は呼吸)に戻すという作業を延々と繰り返していくことなんじゃないだろうか。
そんな風に考えるようになりました。
逸れてもいいなら、気持ち的にはラク
その辺に気づいてからは、だいぶやり易くなりました。
というのも集中なんてできなくて当たり前なので、「逸れたら気づいてまた戻す」ことをひたすら繰り返せばいい。
そう考えると、逸れてもいちいち落ち込んだり、「できなかった」と思うこともなくなりました。
そもそも「できる」「できない」の次元で考えるべきではなかったということなんだろうなぁ。
そんな風に考える陽になってからは、瞑想を毎日やることも苦痛では無くなっていきました。
なので結論。
「瞑想中は基本的に雑念が湧きまくりますが、気にせず続けましょう」

「できる・できない」では考えない方がいいのがマインドフルネスだと思います。
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