この記事で伝えたいこと
「頭からなかなか離れない嫌なことについては、敢えてそれに触れてみるのも一つの方法」
私が瞑想をしたくない日
私はよく朝に瞑想するのですが、瞑想しているとよく昨日あったことや明日やらなくてはいけないことなどが頭に浮かんでくることがあります。
昨日うまくいかなかった仕事のことや、残してきた仕事のことだったり。
明日やらなくてはいけない仕事のことや、苦手な仕事が明日はあるということだったり。
もちろん嫌なことばかりではないですが、瞑想しているとこれらのことがよく浮かんできます。
特に私の場合は「自分が一番今考えたくないこと」が真っ先に浮かんできます。
だからこそ嫌なことがあった日の瞑想はとても苦手…というかやりたくないんですよね。
考えたくないことが浮かんでくるって大体分かっているのに、それを敢えてやりたい人なんていないんじゃないかな…(笑)
でも、瞑想が嫌なことを思い起こすのではない
ただ、それって瞑想のせいではないと思うんです。いや、別に瞑想を庇ったわけではなく(笑)
そういう「嫌なこと」は、きっと自分の頭の中にずっとあるもので、ちょっとしたことで浮かんできやすい状態なんじゃないかな、と。
瞑想してなくても、ふとした瞬間に思い出したり、実はずっと心のどこかでひっかかっているけど意識しないようにしているだけだったり。
私はよく自分の好きなこと(ゲームとか漫画とか)をすることで、蓋をしているような感じでした。
マインドフルネスの世界における、「マインドレス」という状態に近かったかもしれません。
目の前のこと(ゲームや漫画)に取り組んでいるけど、それを十分に味わえていないというか。
どこか焦りを感じながらやっているというか。
だから、ちょっと苦しかったです。
一日好きなことをしているけど、漠然とした不安を感じていたり、休みの日が終わっていくことに焦りを感じたり。
結局、瞑想をしたから「嫌なこと」が浮かんできたのではなくて。
ずっと感じないように、意識しないようにしているけどずっと頭のどこかにあったものが、瞑想っていう「何もしない時間」の中で明確に浮かび上がってきてしまった。
そんな感じでしょうか。
「嫌なことこそ触れておく」ということ
そんなしんどさを感じる瞑想ですが、私個人の意見としては、「だからこそ瞑想する」ことが大切だと思っています。
というのも、意識していなくても頭の中に「嫌なこと」はちゃんとあるんですよね。
それが大きいことであればあるほど、蓋をしておくのは難しい。
であれば、ずっと意識しないでおくよりも敢えてそれに触れてみる。
「あらかじめ触れておく」という感じかもしれません。
瞑想ではいろんな考えが浮かんできますが、それに気づいた後大体は呼吸に意識を戻すことになるため、次第に考えを「手放す」ことになります(何度も繰り返すこともありますが)。
それを繰り返していくと、最初の頃と比べると「嫌なこと」があまり浮かんでこなくなったり、そこで感じる苦痛や不安も少しですが和らいだりすることがあります。
※ただ、あまりにも辛すぎる時などは無理に瞑想を続けない方が良いと思います
考えないようにすることも良いと思いますが、逆に瞑想を通して敢えて嫌なことに触れてみる。
そういった方法もあるんだな、と、瞑想をする中で気づいたお話でした。
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